ハゲの“可視性”が、男性を苦しめる?薄毛がマイノリティである悩み

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人は少なからず見た目を気にします。そして薄毛というのは目に見えてしまいます。だからこその苦しみや、薄毛の人にはあるのではないでしょうか。そこにはどのような苦しみがあるのか見てみましょう。

ハゲの可視性とは

薄毛の可視性を説明するために、人種の違いによる例を挙げてみます。

ある白人女性が「人種の違いを乗り越えて女性という一致点で連帯しよう」と呼びかけました。ところがある黒人女性はそれを拒みます。彼女は白人女性に対して「朝起きて鏡を見たとき、そこに誰が映っていますか?」と尋ねました。
白人女性は「女性だ」と答えました。すると黒人女性は「私の場合は黒人の女性が映っている」と答えたのです。

人種とはいついかなる時も可視的な特徴であること、そしてそれは自分たちが生活する社会において黒人が抑圧的な位置に置かれることに起因しており、人種問題が不可視である白人女性との間に連帯は成功しないと言ったそうです。

これはこのまま、ハゲた人の可視性にも通じるのではないでしょうか。

ハゲというマイノリティ

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薄毛であるという可視性のある特徴は、つねに自分のマイノリティを意識して生きていくことにも繋がります。
他者に注目されてしまう特徴をつねに背負って生きていかねばならないことに、差別される側の苦痛が伴ってしまうのです。

逆にいうと自分が普通の容姿であれば、それは「不可視」であり、社会的、文化的な特権になり得ます。可視的な存在として位置づけられてしまうことは、社会的な排除に結びつくことは、人種も薄毛も同じ問題なのかもしれません。

マイノリティはただの少数派ではない

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マイノリティとは本来少数派という意味ですが、薄毛の考察においてマイノリティは決して数の問題だけではなさそうです。
というのも、人種問題にしても薄毛問題にしても、単なる数の多い少ないでマイノリティが決まらないからです。

例えば、南アフリカ共和国では国民の大多数が黒人であるにも関わらず「白人の国」として成り立っています。黒人の方が多くてもマイノリティなのです。
つまり大多数がハゲであっても、マイノリティであることに変わりはないということ。少数派ではなく、抑圧される側にいるということであるという意味でのマイノリティであり、この社会の図式が変わらない限り、薄毛の人の悩みは消え去らないのかもしれません。

悲しいことに、マイノリティであることは自分にも他者にも目に見えることで抑圧を受けてしまう立場にあるということですね。かつら産業や育毛剤業界が潤うのは、この図式の影響なのかもしれませんね。

※ハゲを生きる P147-153

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