人から見たハゲと、自分が認識するハゲの間には、大きな認識のズレがあるようです。その認識のネジレこそが、薄毛本人のごまかしや隠蔽工作に走らせる原因なのかもしれません。
自己認定と他者認定の時間的ズレ
自分で髪が薄いことに気づいていても、他人には気づかれていない場合や、逆に周囲の人は「あの人は薄い」と認定しているのにも関わらず、本人が気づいていないという場合があります。
この両者の時間的な「気づき」のズレが、薄毛本人をごまかしに走らせるのかもしれません。
これは自分が先に気づき、周囲には気づかれていないと認識している場合に起こります。周囲の人たちに薄毛を感づかれていないと思っているからこそ、このまま「薄毛ではない自分」を貫こうという意思が働き、ヘアケアや髪型によるごまかし、カツラなどに向かわせるのではないかと考えられます。
ごまかしによってハゲ認定される?
しかし、せっかく他者が気づいていなかったというのに、本人がごまかしや隠蔽工作に夢中になる余り、かえって周囲が不自然さに気づく可能性も指摘されています。
それは、他者が「あの人は薄毛だ」と認定するのは、実際の髪の薄さよりも、本人の髪型や行動によるものが大きいと思われるからです。
周囲が薄毛に気づいていないのに、本人が必死に隠そうとすることでバレてしまうという悲しい結末になってしまいます。
ここに薄毛認定の難しさとネジレた構造の悲哀が見えますね。
ハゲ成立の独自性
ここまで考察してきたように、ハゲが自己・他者により認定され成立するのは、独自の特徴があるようです。
ではどうしたら解決するのかという答えも見つからず、薄毛本人としてはますます苦悩が募るところでしょう。
ハゲ成立は、毛量の少なさだけでなく、それ以上に彼らをめぐる相互行為に強く影響を受けていると言えます。結局本人としては「気にしない」のが1番とわかっていても、周囲の目が変わらない限り、堂々巡りは続くのかもしれませんね。
薄毛問題は認定も難しいうえに、本人と他者の認識が複雑にからみあっています。少しでも薄毛の人が傷つかない世の中になって欲しいものですね。
※ハゲを生きる P114-116